ヘルパー辞めます。

6年間勤めた訪問介護事業所を辞める。
初めから、介護福祉士と介護支援専門員の資格取得を目指していた。
目標を達成できた。
これから、ケアマネの職探しをしなくちゃ。
とはいっても、最重度の子供を抱えて仕事をできる時間は限られている。
それに加えて掃除と洗濯にかかる労力は尋常でない。
それでも、仕事を始めたのは外に出たかったから。
家族だけしか関わらない生活が耐え難かったから。
仕事をして失ったものもある。
母親不在の家に子供の友達を招けず子供の様子が分からなかった。
子供の友達と関われる時期は限られているのに。
でも、もし仕事をしなかったとして家の中がいつもきちんとして手の込んだ料理をいつも提供できたかといるとなんとも言えない。
確かに仕事で余裕がなくいつも家の中が雑然としてしまったかもしれないが・・・。
でも、この6年で得たものは大きい。
一番はオーイの尊厳と権利を守らないといけないという自覚。
未熟な私は自分勝手な理屈でオーイにどれだけのひどいことをしてきただろう。
「あなただから育てられる。」と障害者の母親はわけのわからない慰めをよく言われる。
でも、私じゃなかったらオーイはこんなに行動症状を悪化させなかったかも知れない。
オーイの世話が苦痛だった。
逃げることしか考えられない時期も多かった。
でもオーイと離れて幸せになれる気がしない。

明日は母の三回忌

早いもので母が亡くなって2年が経とうとしている。
2年前の私はケアマネージャーの資格をなにんとしても取りたくて仕事を辞めたくなかった。ただ自分の思いだけで。
ケアマネージャーの試験に合格した今、母との時間を取り戻したくても決してかなわない。さんざん苦労をして大事に育ててくれた。子供が出来てからはいつも助けてくれた。孫の世話は母にとっても楽しいことだと思い込みなにかにつけて呼びつけていた。実際自分が孫を持ってもおかしくない年齢になって気づくと母は障害の子供と持つ私が不憫で助けたかったのだろう。
もう少し長生きしてほしかった。母が年老いて助けを求めていた時私は何もできなかった。

親の気持ち

オーイはもう24歳
親の会の仲間も前向きで子供のために一生懸命な人ばかりでねちねち愚痴る人はいない。周囲の子供の成長にも素直に喜べる。
でも・・・やはり障害のある子の子育ては過酷だ。
辛く苦しいことが多すぎる。
「この子がいるから、がんばれる。」「この子に教えられる」「この子がいて良かった」とよく言っているのを聞く。
それは、それで嘘はない。本心だと思う。
でも、人の心は複雑だ。
子供に障害がなかったら、親の人生は全く違う。
人はきびしい環境ほど鍛えられるとはよく言ったものだ。
私もこれほど福祉の勉強にのめりこまなかったろう。
今の自分はオーイに育ててもらった部分も多い。
でも、いつも受容出来ているわけではない。
失ったものも多すぎる。
自分では全く選択する余地はないのに。

やり切れなくなることもよくある。
健常児が死ぬほどうらやましいことだってあった。
そんな親の思いは恥ずべきことと蓋をしていた。
正直に言ったら障害の子がいると何も言えないとみんなに距離を置かれてしまうから。
でも、先日ある障害の子供をもつ人の講演を聞いて、あまりにも親の思いに正直でいるのに感銘を受けてしまった。

やっぱりドロドロした自分をだしてしまってもいいんじゃないかと。
支援者や周囲の人に知ってもらったほうがいいんだって。
だって、専門家といわれる人でさえ親の思いに鈍感すぎると思えてしまうことが多いから。

ケアマネ 実務研修一次研修

三日間の一次研修が終わった。
9時半から6時までの講義。
我が家を8時に出て、帰宅は7時過ぎ、夫にも協力をしてもらったが、ほとんど福祉サービスを駆使して乗り越えた。朝、一時間前に迎えに来てもらい日中は普段の生活介護そしてそのあと行動援護、オーイの生活は大きな変化はなく大好きはお出かけで日中活動後プールに行ったりお風呂に行ったり夕食は三日間外食だった。行動援護のサービスがなければ、オーイを外食に連れていくなんて弟ができてから負担が多すぎてめったにできないことだった。そう考えるとなんて幸せなんだろう。研修でも繰り返し言われたが、目指すべきは本人の望む生活の実現、お出かけ大好きで自宅にいられないオーイだからなんとか時間がとれたんだ。
世話する人は大変だろうなとおもいつつ自立支援法による行動援護の創設はありがたかった。

介護支援専門員実務研修

昨年合格した介護支援専門員の実務研修が今週末から始まる。
今朝、近くに一人暮らしをしている娘から熱が出たと電話があった。
どうやら、インフルエンザらしい。
このタイミングでもし自分やオーイがインフルエンザに感染して実務研修を受講できなかったら・・・とあわてて受講の手引をめくってみた。
欠席の場合は来年度の受講について改めて社会福祉協議会と協議する。正当な理由として認められなければ、来年また試験を受けなおす・・・。
格通知が来てからは、もうケアマネになれると思いこんで浮かれていたけど、急に不安になってきた。なんとか、自分と家族が無事に研修を終えられますように、と願わざる終えない。でも、厳しいな〜。

今、入所施設を望む人たち

養護学校時代の知り合いから手紙が届いた。
入所施設設立のための寄付金を集めていると・・・。
お子さんはかみつき癖があり、彼女は腕にいくつもの真っ黒いあざを作っていた。
今は、日中は通所しているが、短期入所は断られているという。
入所施設はどんな子供でも受け入れていると思っていたが、実際はそうではなかった。
オーイも消火器事件以来日中一次支援を月に2回しか使えなくなってしまった。
以前はこちらの望むまま何日でも受け入れてくれたのに、担当の主任が変わっただけでこんなにも状況が変わってしまうものかと愕然としている。
オーイが今在宅を続けられているのはラッキーな偶然が重なっていたからかも知れない。
24時間体制で支援を受けられ、ケアホームへスムーズに移行できる支援も望める施設を造るという。
オーイは今、行動援護で大好きなお出かけ三昧でレストランで好きなメニューを選びショッピングも楽しんでいる。でも本人が安定した生活を継続できなくては本人の自己決定や自分らしい暮らしなんて望むべくもないんだ。今のオーイの楽しみを全て取り上げ見通しの立てやすい24時間体制の支援がはたして幸せか、そんな疑問を感じるのも今福祉サービスに恵まれているからなんだ。
権利擁護なんて言っても親にできることは限られている。いい福祉サービスがなければ安心をとるしかない。

手術が終わる

約五時間の手術で胃の3分の2を切りとった。
離れたところに転移らしきものがあったのを検査するのに一カ月ほどかかる。
その結果によって抗がん剤治療をするかどうか決まるとのこと。
手術後の夫は生まれて初めて身動きもできなくなった体に混乱し、体中に違和感を感じているのか心底不安そうだった。
大病をしたことのない私にはよくわからないのだけれど、
十年前に大腸がんの手術を経験している姉に、身体の苦痛や心理状態などを聞き想像している。
やはり、病気は怖い。
先日聞いた、50パーセントの意味を医者のもう一度確認してみた。
生存率かと思っていたが、再発の可能性が50パーセントだという。
でも、再発したら95パーセントは助からないとも・・・。
一ヶ月後の検査結果によってまた可能性が変わるのだろうか。
この先の生活、子供たちの環境を整えながら、闘病する夫を支えていけるのだろうか?
最重度で行動障害のあるオーイの世話だけでもいっぱいいっぱいなのに。
オーイが自分らしく生きていくには、家族が健康でなければいけないなんてね。
でも、簡単にはあきらめない。